塩釜神社の祭神は、信達一統誌(しんたついっとうし)によれば猿田彦(さるたひこ)です。

古事記には、猿田彦のことをこんな風に書いています。身長は約210センチ、赤ら顔で目は大きく、鼻がたいそう高かったと。また、天孫降臨(てんそんこうりん)の時、神々を地上への道案内をしたのが猿田彦です。

まだ、福島盆地が湖だった神代の時代、その水を釜で煮詰め、塩を作ろうとしたことから、塩釜神社の名が付きました。

この神社には、地元人が書いた「武左衛門漂流記(ぶざえもんひょうりゅうき)」が奉納されています。この漂流記は、今から約二百数十年前の宝暦11年、幕府.御涌米船(ごようまえぶね)での出来事を綴ったものです。

船は、地元から阿武隈川を下り、仙台から太平洋にでます。積み荷は数百石のコメです。この日誌にはこのように記されていいます。

“船頭が叫びました。「波が来た、大波だ!船が割れる」、「雷神が怒っている。みんな髪を切って海に捧げよ。コメもだ。」しかし、波は収まらず船は西へ西へと流され四か月、漂着したのは中国大陸・清国(しんこく)でした。清の人々は、日本の船乗りを一目見ようと大勢が集まってきました。そして、親切だった清の人々。衣服をもらい、砂糖で元気付けられ、案内を得て広州から上海に至り、一年がかりで、清の国の船に乗り日本へ。”

武左衛門の日誌に「上海は日本の品川に似ていた」と書き、漂流冒険の旅は幕を閉じたのです。

この日誌、今は塩釜神社の金庫の中、鍵の所在が分からず、直接、見ることできないのは残念です。

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